日誌・連載コラム

いわゆるブログコンテンツとして、当会からのお知らせや活動をご紹介する【仏教と日々の日誌】、
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2019.03.06

【連載コラム】信仰のススメ

3月6日【連載コラム】信仰のススメ 第280回 

第280回 「人は死なない」

これは、信仰を持っていると自負している人の言葉ではなく、僧侶などの言葉でもなく、宗教学者の言葉でもない。東京大学名誉教授であり、救急医療に長く携わり、多くの人の死を見てきた人であり、「人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」の作者矢作直樹氏の言葉である。

死後の世界の存在を主張して18万部を発行し、次々と出版活動を続けておられる。科学の進歩で釈尊の著した世界が証明されつつあることの顕著な例である。

そのような中で、私たち(宗教をしている・信じていると自負する)はいったい何をしているのかと思う。信仰していると言いながら、迷い、怒り、貪っている毎日である。経典に明らかに書かれている輪廻転生を目にしながら、目で見るだけで、心には見ていない証拠である。

電波というものは目には見えないが確実に存在し、大いに役立っている、と矢作氏は言っておられる。目に見えるものしか信じないことの無知を知らなければいけないだろう。

神社仏閣にいくら参拝しても、そこにおわす神仏の存在を信じなければ参拝の意味がない。あやふやな心ではいけない。はっきりと感じ、信じる事だ。それで初めて信心といえるだろう。

目に見える肉体には、いつかゴールがくる。それを人は恐れるわけだが、体が無くなって終了するなら、無茶をしてもいいだろう。しかし「人は 死なない」のである。死なないならば、何をすべきかをもっと熟考する必要があるのではないか。しっかり考えず、無駄な時間を過ごし、無知な行動を続けると、永遠にそのつけがついて回り、巨大な罪とがの塊になり、自らを地獄に落としてしまうことになるからだ。

仏教は、そのような地獄に落ちないようにするために学ぶものである。学び、説かれていることを実践していく事で「単なる肉体の終わり」を嘆くことなく、人としての尊厳を保ち、生きていくことが出来るのである。

経典に説かれている言葉の、目に見える意味だけを求めるのではなく、心に読んでいく事が大切である。死後の世界をはっきりと心に見ることができれば、もう少し意味のある人生を歩むことができるのではないだろうか。

 

 

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